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西安駐在 中国秘境巡り

中国・ベトナム国境 地雷原に白い恋人を

雲南省文山県麻栗坡 国境の高地老山・者陰山 山脈一帯
ここは紛争終結まではベトナム領土と考えられていた。

昆明から400km 更に文山から85km 更に麻栗坡から 
1000m〜2000mの山脈を幾つも 越えなくてはならない

国境といっても 陸路で渡れる簡単な場所ではない
山脈を隔て 死戦がつづいた最前線へ

向かう山道 何度も崖崩れに遭い
復旧されるまで 車の中で一夜を明かし

中越戦争 1979年 中国が支援していた毛沢東理論
ポル・ポト政権 クメール・ルージュを崩壊させた
ベトナム軍に 報復攻撃を仕掛けた

そして・・黙殺された歴史
中越国境紛争 1984年〜 麻栗坡(Malipo)老山 者陰山・東山
交戦は1988年まで 継続して戦闘がつづいた。
じつは・・国境線が確定したのは2000年代に入ってから。

高山にへばりつき生きている少数民族村々が幾つもあり

国境に翻弄された村々 人々の墓場がつづく・・

一平方kmあたり五千個以上埋められた地雷は
人々を苦しめつづけ 夫も・・ 息子も・・ 

中国・べトナム・米国・旧ソ連の四ヵ国製 十八種類
八十数万個以上の地雷と十数万発の砲弾・手榴弾が埋まっている

道ゆく道 すべてが地雷原なのです・・・


悲しみの山を見つめ 家族、友人を想う 

こんな地の果てに来るなんて・・涙を流して喜んでくれた

この一帯に外国人が 中国共産党の許可なく入れるのか
わたしにはわからない・・ (ベトナム語の表示も)

国家級の貧しい地域と認定されるほど 

人々は困難な生活をしています。地雷原の地

高山で採れる作物は限られ 危険を冒してでも
食べてゆくために禁止されている地雷原に入り 耕す

彼らにとって 高山を降りるだけでも困難
万が一 山から降りられても言葉 民族の壁が

少数民族に対し、優越感をひけらかす漢族も少なくなかった

・・最前線・・向こうに見えるのはベトナム大青山

両山戦役と中国ではいわれている 老山・東山 八里河へ

50戸が住む八里河・苗族村 じつに30戸の家に地雷の被害者が
ここ数年 10数人が地雷で亡くなっている

貧しい村は 元気なものは 山菜採りに

不毛の枯れた土地で採れる山芋が 唯一の収入源



・・そして 八里河で旅の目的を達成することが・・

地雷を踏んでもサヨウナラではない (6月4日の日記)
地雷を踏んで片足を吹き飛ばされ 義足で生きる彼に

ただ、白い恋人を渡したくて・・・ 

彼が笑った!  ・・それだけでいい・・



今日の西安 晴 5℃〜−6℃ 雲南省麻栗坡 曇 20℃〜0℃
最後のチョコレートがなくなりました。

中国の旅はこれで終わります。
みなさま 本当にありがとうございました。
 必ず、また再開します。その日まで!